何もかもが滑稽

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映画、漫画、アニメなどが好きで、その事についての感想、思ったことなどを書いています。 それ以外の事も時々書きます。

映画「隣の家の少女」感想 観て後悔する 鬱映画の存在意義とは…


どうもきいつです

 

実話をもとにしたスリラー映画「隣の家の少女」観ました

 

実話を基にしたジャック・ケッチャムの同名小説を
映画化した2010年の作品
かつて、隣人の家庭で起こった
少女に対する壮絶な虐待を描いています





あらすじ
1958年、小さな村で暮らす少年デヴィッドの
隣の家にニューヨークから姉妹が越して来た
2人は家庭の事情で叔母の所に預けられており
デヴィッドはすぐに姉のメグと打ち解ける
だが、次第に彼はメグが叔母とその息子たちに
虐待されていると気づき始めていく



感想
こんなにきつくてしんどい映画を
観るのは初めて
この映画を観て感じる感情は
胸糞悪さ、怒り、虚無感
それだけです
鬱映画の存在意義って
何なのか…



この映画、本当に嫌な映画です
観終えた後に残るのは
マイナスの感情のみです
いわゆる鬱映画ってやつです

終始しんどい
観るのがきついです


人間の悪意というものを
これでもかと見せつけられる
これはもう悪意なんて
簡単な言葉で終わらせれない

それくらい胸糞悪いものが
描かれています


この映画を
面白い映画なんて絶対に言えないし
良い映画とも言えない

これを観た大多数の人は
観たことを後悔するんじゃないでしょうか



具体的に内容の事を言うと

まず、この映画のラスト
全く救いは無いです
事実を基にしている作品なので
わかりきっている事ではあるんですが

虐待を受けていたメグは
悲惨な最期を遂げますし

主人公のデヴィッドは
いつまでもその過去に縛られ
気持ちが晴れる事が無い

後味の悪さがハンパない


そして、ラストに至るまでの
虐待描写が
めちゃくちゃきついです
意外と直接的な描写は少ないんです
暴力的、性的な虐待を受けてますが
画面の外で行われている事が多く
映像としてはそこまで痛々しくはない

しかし、叔母の言動であったり
叔母に同調している息子たちや
行われている行為そのもの
その場の空気感

それらが、本当に気持ち悪い
吐き気を催すほど


叔母とその息子たち
これの闇が深すぎて…

気持ちが悪いとか腹が立つとか
そんなレベルでは表せない
ここまでものを見せられてしまうと
怒りや恐怖も感じず
ただ呆然と見ているだけになってしまいます



この映画で
1番絶望を引き立たせているのは
デヴィッドという存在

彼はこの映画の中では
唯一の部外者で
言ってみれば観客と同じ目線の存在です

この映画の観客は
デヴィッドとしてこの世界に入り
デヴィッドと一緒に
虚無感ややるせなさを感じ
あの時ああしていれば
と後悔の念に苛まれます


さらに、デヴィッドという
小さな良心が存在することで
この映画の中にちょっとでも
希望を感じてしまう

でも、実際はその希望を踏みにじられ
さらなる絶望を見せつけられるわけです

希望を感じた後の絶望ほど
嫌なものは無いと思う


本当にこの映画には
気持ちをどん底まで突き落とされた
気分です



で、僕がこの映画を観て思ったのが

世の中には鬱映画と言われるものが
たくさんありますが
鬱映画の存在意義って何なのか?
です

正直、この映画を観て
何か得たものがあるのかと言うと
無いと思う

現実にこのような悲惨な事件が
存在するという事は
知る事はできましたが

それを知ったところで
自分には何もできない

結局、残ったのは
嫌な感情だけです

それに意味はあるのか?



でも、よく考えてみると
これって感動なんじゃないのか

感動って
美しいものを見て涙を流すこと
という意味だけではない
心が動くって事です

僕はこの映画を観て心が動いた

それはマイナスな感情ですけど
この作品を観ていろんな感情を抱きました


美しい物語で涙を流す
ということだけが素晴らしいことなのか

悲惨で胸糞が悪く
救いが無く残酷過ぎて
涙すら流れないほど嫌な気持ちになる
これも素晴らしいことじゃないのか

これも感動と言えるんじゃないのか
そう思いました

こういう気持ちを抱くって事が
人生の糧になるんじゃないでしょうか


バッドエンドを嫌う人もいますけど
バッドエンドにも意味がある
存在意義がある
そう思います



この映画を観て
後悔した
でも、観て良かった
決してオススメはしないけど
こういう映画も
素晴らしい作品だと思います



隣の家の少女 [レンタル落ち]