何もかもが滑稽

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映画、漫画、アニメなどが好きで、その事についての感想、思ったことなどを書いています。 それ以外の事も時々書きます。

映画「フォルトゥナの瞳」感想 人柱の美談は古臭い 倫理的にもどうかと思う

 

どうもきいつです



ファンタジー恋愛映画「フォルトゥナの瞳」観ました

 

「永遠の0」などの百田尚樹による同名小説を
「ソラニン」「アオハライド」などの
三木孝浩監督が手掛けて映画化した作品

 

他人の死が見えてしまう能力を持った青年が
最愛の女性の死に立ち向かうラブストーリーです





あらすじ
幼い頃に
飛行機事故で家族を亡くした木山慎一郎は
仕事一筋で生きてきた
ある日、彼は死が近い人が
透けて見える事に気付く
偶然知り合った女性、桐生葵も体が透けており
慎一郎は彼女を救うと決心する



感想
ありがちなストーリー
ありがちな演出
そして、そのどれもが
かなり微妙でした
さらに反吐が出る程の
キレイごとの映画



この映画、かなり微妙です
最後まで観ることはできますが
いろいろと酷い
ツッコミどころが多いです


本作で1番重要なのは
特殊な能力「フォルトゥナの瞳」です

この能力は死が近づいている人の体が
透けて見えてしまう
という能力です

どうやら九死に一生を得た人に
この能力が覚醒するようで

この能力の設定がガバガバ
なんですよね


まず、人が透けて見えるのが
どの段階からなのかが
その時によって違うんです

死ぬ直前に見える事もあれば
2日前くらいから見える事もある
そこは統一するべきでしょ


そして、透けている人を
助けて運命を変えてしまったら
自分の寿命が縮みます

なんで?
って疑問が浮かぶんですが
それには明確な理由も何もありません


能力が覚醒する人は
死にかければ誰でも覚醒するのか
そのへんも曖昧
都合のいい人だけが能力を持っています


全くもってこの能力が曖昧過ぎるんです
その場その場で都合よく使われて
都合の悪い事には一切触れない
なんとなく神がかったすごい力
ただそれだけです

結局はこの物語を盛り上げるためだけの
小細工の1つという事です
本作のメイン要素のはずなのに
全く作り込まれていません



それ以外にも
いろいろあります


全体的にセリフが酷いです

セリフが全部セリフっぽいんです
これは役者が棒読み
というわけではなく

セリフの内容の事です
全部が作文みたいなんですよ

そして、めっちゃ説明臭い
全てを言葉で説明してしまっている
その時の状況、心境を
口に出してしまっているんですよね
熱いとか、つらいとか

会話として不自然です
人間が喋っているように見えない

良い役者を揃えているのに
もっと動きとか仕草で伝えればいいのに



で、こんなに言葉で
説明しまくってるくせに

肝心なところが全然描けていない

それは、登場人物の内面だったり
ドラマの部分だったり

正直、全然感情移入できません


キャラの気持ちが全然わかりませんよ
何が彼らをそうさせているのか
そういう部分が伝わってこない

慎一郎がいつ恋愛感情に切り替わったのか
それも謎
葵がなぜ彼を受け入れたのかも
設定がそうだからってだけ

そして、恋愛映画なのに
2人の絆がどう深まっていったのかも
描かれていませんし
お互いの気持ちがどうなのかも
深く描かれていません
心の変化の描写なんかも全くない

この映画で恋愛描写と言えるのは
2人がラブラブのデートをしている
くらいだと思います

表面的な映像だけでは
2人に愛があるように見せていますが
実際は内面が全然描かれていません


なので、ラストも全然感動できませんでした
こんなんで感動できる奴いるんですか?



音楽の使い方も酷い


慎一郎が告白してからの
ラブラブシーンでは
これぞラブストーリーって感じの
甘い曲が流れます

感動のシーンでは
これぞ感動シーンって感じの
切ない曲が流れる

品が無いです
気持ち悪い
もうそろそろこんな曲の使い方
辞めませんか?



そして、どれもが
今までに見たことのあるような
設定、演出、ストーリー
新鮮味もありませんでした



そんな事より
僕がこの映画で
1番問題だと思ったのが

自己犠牲の美化です

この映画での感動ポイントでもあるんですが
主人公が自らの命を犠牲にして
他者を救うという部分です

これって単純に
人柱を生贄にして多くの命を救う
って事だと思います

そもそも、自己犠牲の美しい話なんて
やりつくされているし古臭いです


でも、それの全てが悪いとも思っていなくて
自己犠牲は
素晴らしい事だとも思っています

ただ、この映画では
それを
とても美しい事
とても素晴らしい事
彼は聖人
とでも言わんばかりの
描き方をしているんです

それって、裏を返せば
自己犠牲を払わない人間は
弱い人間
無責任
最悪の場合は悪人
そう言ってるようなものです

でも、絶対にそんなことないですよ
そんな考えは危険ですよ

むしろ、自己犠牲なんて
ただの自己満足な部分も大いにある

この映画を観ていても
主人公は完全に自分勝手だし
他人の事なんて考えていない
自分に酔ってるだけにも見えます
エゴイストです


自己犠牲が極端に美しいという
考え方は倫理的に問題です

一見素晴らしいことにも思えますが
こういう考え方が争いを生む火種にも
なりかねない事です

自己犠牲をテーマにするのもいいですが
綺麗な一面だけを描くんじゃなくて
いろんな方面から描かなければ
ただのキレイごとの映画です



これは僕の持論ですが

キレイごとは
学校の道徳の授業で教えてくれます

でも、それで割り切れないような事を
娯楽や芸術が教えてくれる

そういうものには表現の自由があるんです
綺麗なものだけじゃない
低俗なもの、邪悪なもの、汚いもの
そういうものも表現できる

だから人間のグレーな部分を
見る事ができる
そして、それが1番人間にとって
大事なことです


僕が言いたいのは

せっかく映画という表現方法を
選んでいるのに
何故、教科書のキレイごとみたいな映画を
作るのか



この映画は
正直言って嫌いです

作品の作りも酷いですが
こんな気持ち悪い
キレイごとだけの物語は
逆に教育もに悪い



フォルトゥナの瞳 (新潮文庫)