どうもきいつです
ドキュメンタリー映画「ぼくたちの哲学教室」観ました
北アイルランドの街ベルファストの男子小学校で実施されている哲学の授業を記録したドキュメンタリー映画
アイルランドのドキュメンタリー作家ナーサ・ニ・キアナンとベルファスト出身の映画編集者デクラン・マッグラが共同監督を務めています
あらすじ
北アイルランド紛争によりプロテスタントとカトリックの対立が繰り返されてきたベルファスト
現代も「平和の壁」という分離壁が存在する
この街のホーリクロス男子小学校では哲学の授業が必須科目になっている
子供たちはケビン・マカリービ校長の教えのもと
他人の意見に耳を傾け、自ら思考し言葉にする
哲学的思考により問題解決を探るケビン校長の姿を追う
感想
何かを疑問に思い、問い、思考する
こんな教育は日本にも必要だと思う
気になっていた映画だったので観てきました
ドキュメンタリーなので少し退屈な映画かもしれないけど
個人的には観てよかったと思えた作品
この映画を通して日本の教育についても考えさせられます
哲学的思考の大切さ
本作の舞台となる街ベルファストは大きな問題を抱えた街です
近年までプロテスタントとカトリックの対立により内戦が起きており
現代でも完全に解決したとは言えず緊張感はいまだに漂ってます
その影響により犯罪や薬物乱用も頻発し
青少年の自殺率はヨーロッパの中で最も高くなっています
決して治安の良い街とは言えません
むしろ、治安が悪く絶望感さえ漂っている街です
そんな中で
ケビン校長が行う哲学の授業と
その授業を受ける子供たちの姿を追った作品な訳ですが
本作を観て感じたのは
最悪な状況の中で強く生き抜くための術は
考えること
ケビン校長は子供たちに考えることの大切さを教えています
哲学の授業と言っても
アリストテレスがどうとかデカルトがどうとか
そんな難しい話ではなく
もっと根本的な
何かを疑問に思いそれを問うて、答えにたどり着くために自分で考える
ということを教えています
例えば
先生は「他人に怒りをぶつけても良いか?」と子供たちに問います
そして、子供たちはそれぞれ考えて自分の意見を発言します
ここで重要なのは
先生は何が正しくて何が間違いなのか答えは用意していません
子供たちそれぞれの答えは正しくもあり間違いでもあり
様々な意見に耳を傾け価値観や思考の違いに気付く力を養わせています
子供たちが問題を起こしたときも
君たちは悪いことをしたんだと一方的に叱るのではなく
何故そんなことをしたのか?
その行為によってどんな影響があるのか?
などを子供たちに考えさせます
ケビン校長はとにかく子供たちに考えさせる
それが彼の教育方針なんです
何故それほどまでに考えることを重要視するのかというと
やはり、ベルファストのような混沌とした街で生き抜くには
考えることが生きるための武器にもなり鎧にもなるからです
考える力がないと言うことは
武器も鎧も持たずに戦場に放り出されるようなもの
そんな状態でつらい状況を生き抜くことなんてかなり難しいですよね
何も考えず感情の赴くままに行動すれば
犯罪や薬物に手を出すことは多くなるだろうし
突発的に自殺するなんてことにも繋がります
何も考えずに世間の流れに身を任せれば
自分はプロテスタントだから、自分はカトリックだからと
相手の言葉に耳を傾けることもなくいがみ合うことにもなってしまう
しかし、考える力があれば
何かに対抗することも自分を守ることもできる
みんなが哲学的思考で視野を広く持って考えることが出来れば
犯罪や薬物を未然に防げるだろうし
簡単に自殺しようなんて気持ちにもならないでしょう
宗教対立による争いの解決にも繋がるはず
ケビン校長はそこを目指して教育をしているんだろうと感じます
日本の教育は真逆
この映画を観ていると
やっぱり日本の教育と比べてしまいますね
日本の教育の問題点が見えてきます
日本の教育って答えありきでその答えを子供に押し付ける
って感じですよね
本作の中で「他人に怒りをぶつけても良いか?」
という問いがあったけど
日本の教育では
有無を言わさず「何があっても怒りをぶつけてはダメ」と先生が言って終わり
子供同士がケンカをしたとして
どちらか悪い方を決めて謝らせて終わり
みたいな
とにかく子供は
先生や親など大人の言うことを何も考えずに聞いとけ
という方針です
戦後すぐの日本では
こういう「何も考えずにとにかく社会や国のために働け」みたいな方針のおかけで高度成長に繋がったでしょうけど
今の時代にもそれを続けてるのが問題で
現代ではメリットなんてなく
むしろ、足枷にしかなってないわけです
日本での
幸福度の低さにしろ
自殺者の多さにしろ
SNSのギスギス感にしろ
こういうものの原因は
自分で考えることをさせない日本の教育による歪みのなのかもしれません
今の時代、何も考えずに生きていたら
その先にあるのは不幸だけ
そもそも、小学校や中学校で哲学なんて勉強しないですよね
僕は大学で初めて哲学の授業を受けましたけど
これはこれで小難しいこと言ってるだけだったし
本当はこの映画のような教育を日本でも取り入れるべきだけど
おそらく日本でこういう教育に切り替わることはまだまだないでしょうけど…
いまだにこんな時代遅れな教育が当たり前だなんて
日本の未来は絶望的だと思います
この映画をきっかけに日本の教育がいかに絶望的かも感じさせられました
暴力に対抗する手段が哲学という部分には違和感
ケビン校長の教育方針はとても素晴らしいものだし
日本も見習うべきだと思います
しかし、本作から感じる“哲学で暴力をなくそうキャンペーン”みたいなのに少し違和感がある
ケビン校長はおそらくそんな思いはないだろうけど
映画の作り手側のメッセージとして
哲学で暴力をなくそう
ということが込められてるのかな
でも、哲学って暴力をなくすものではなく
むしろ時には暴力を肯定することだってあり得るわけです
答えのないものに挑む学問が哲学なわけで
そこをnot暴力という一つの答えに当てはめてしまうことには矛盾を感じる
何があっても暴力をふるってはならない
という考えがあれば
暴力を使わなければ解決できないこともある
という考えもある
どちらの意見も尊重されるべきだし
そんな様々な考えを擦り合わせて答えに近づいていくのが哲学だとも思う
本作から感じる
哲学という言葉を使って一方的に暴力の否定するメッセージには
ちょっと違うんじゃない?
と思ってしまったのは否めない
まとめ
キリスト教同士の対立や哲学の授業など
日本人には馴染みがなくて
あまりぴんと来ないかもしれません
でも、だからこそこの映画には学びがある
本作を観ることで
北アイルランド紛争について
プロテスタントとカトリックの対立について
哲学について
もっと知りたいと学ぶきっかけになると思う
そして、自分の人生や日本の現状などについて
疑問に思い問うて、答えを求めて考えるきっかけにもなると思う
この映画を観ることが哲学的思考に繋がるのかもしれませんね