どうもきいつです
台湾のホラー映画「怪怪怪怪物!」観ました
高校生4人と怪物の姉妹の戦いを描き
いじめ問題、スクールカーストなどの
社会問題も組み込んだホラー作品
監督は「あの頃、君を追いかけた」の
ギデンズ・コーが務めています
あらすじ
高校生のシューウェイは学校でいじめられていた
ある日、シューウェイは先生から
いじめっ子3人とともに奉仕活動を命じられ
独居老人の手伝いをすることになる
その夜に老人の家で2匹の怪物に遭遇した4人は
そのうちの1匹の捕獲に成功する
感想
思っていたのとは違う胸くそ悪さ
これはただのホラーではなく
いじめのメカニズムを形にしたような
とても興味深い作品でした
本当に怖いのは人間の心
台湾の映画は普段の全く観ないジャンル
たぶん初めて観たんじゃないかと思う
タイトルとパッケージに惹かれ
ネットで配信されている本作を観てみました
観る前はよくある普通のホラーだと
思っていたんですが
観てみると想像とは全然違っていた
もはやこれはホラーじゃないですね
いや、逆にホラーかも
とにかく予想外なストーリーでした
この作品は何も聞かずに観てほしい
というのはあります
そうすればより胸くそ悪いと思うし
この作品の本質も見えてくると思います
ここからは感想なので
多少細かいことも言っていきます
まず、ホラー映画的なものを題材に
いじめ問題に切り込む
という発想は斬新ですよね
しかも、そうすることで
いじめ問題の本質をしっかりと映し出している
人間の闇の部分が
くっきりと浮かび上がっています
いじめられる側の感情
いじめる側の人間の闇
なぜいじめが起きるのか
いじめが最終的に行き着く結末
フィクションを通して
いじめのメカニズムが描かれているんです
それを見せられることで
自分はどうするべきか
人間であるということはどういうことか
それを問われているような気持ちになります
これだけで
この映画がただのホラーではなく
社会派の映画だとわかると思います
具体的な話をしていくと
この物語は怪物の少女を捕獲し
その怪物にいじめっ子たちの
攻撃の目が向けられることで
いじめらていたシューウェイが
それから逃れられる
拷問のような仕打ちを受ける怪物の姿を見て
それに参加するシューウェイの
感情や心の葛藤を描くことで
いじめとは何なのか
というものが見えてきます
ここでのシーンは本当に胸くそ悪いです
マジでこのいじめっ子集団早く死なないかな
とか思いながら見てしまうと思う
イカれたサイコパスが人間を拷問しているより
高校生が遊び半分で怪物をいたぶっている姿の
ほうがよっぽど胸くそ悪いですよね
こちらのほうがより人間の本質を感じるし
誰しもが普遍的に持っているもののようにも
思えるんです
だから危うさがあって
現実にもこんなことは起こりえる
本作は意外と残酷でグロい描写は
隠されているんですが
いじめっ子たちの感情や行動が酷すぎて
見てられなくなってくる
アメリカンなスプラッターホラーなんかより
全然観てるのが辛くなってきますよ
で、重要なのは
この場で行われている残酷な行為ではなく
シューウェイの内面
これがいじめの闇の深さを表している
この物語で1番重要になってくるのは
シューウェイが迫られる究極の選択です
いじめから逃れるために人間を辞めるか
人間であるために自分が犠牲になるか
シューウェイはその選択を迫られる
それで追い込まれていき
だんだん心も壊れていくんです
でも、本当はこんな選択をする必要なんて
ないんですよね
このどちらを選んだとしても
どちらかが正解という訳でもなく
何かが変わるという訳でもない
そもそも、こんな選択は全く無意味なんですよ
しかし、人間追い込まれれば
選択の余地が無くなり
こんな不毛な状況に陥ってしまう
本作の場合は
いじめる側になるかいじめられる側になるか
の話ですけど
現実ではいじめられるか死ぬか
の選択になって
最終的に自殺してしまう人もいますよね
いじめだけでなく
仕事に関しても
仕事続けるか死ぬか
の選択に迫られてる人も多いです
何が言いたいのかというと
いじめってただその時に
嫌な思いをして終わりではなく
1人の人間の精神がぶっ壊れてしまうぞ
って事なんですよ
そこから生まれる歪みは
結局、個人的な問題だけではおさまらず
最終的には破滅的な結末へ向かっていく
本作の場合も
シューウェイは最終的には
究極の選択のどちらも選ばない
その代わりにそれ以上の悲惨な結末へ
向かってしまいます
この場面に関しては
シューウェイがこの世界に一矢報いたようにも
見えてカタルシスを感じれるんですが
この終わりはあまりにも切なく残酷な
終わりかたのようにも思えます
このラストは
フィクションでありえない結末ではありますが
いじめから始まり行き着く終焉としては
リアルにも感じる
いじめの終わりってこんな破滅的で
悲惨な終わりかたになってしまうんだと
思うんですよね…
それくらい人間の心を歪めてしまうもの
そして、それ以外に
罪の重さについても考えさせられる
はたして人を殺すということが
人間にとって1番重い罪なのか?
と疑問を植え付けられた
一般的には殺人が1番やっちゃいけないことで
1番罪深い行動
ってことですけど
この作品を観て
人を殺すかどうかって
実はそんなに重要じゃなくて
その奥にあるものが重要なんじゃないか?
と思ったんですよ
例えば
戦争で兵士が命を取り合うのと
誘拐犯が無差別に子どもを殺すのとでは
明らかに違いがある
同じ人殺しでも全然意味合いが違ってくる
じゃあ、その違いってなんなのか
となると
この映画を観れば見えてくると思う
いじめっ子高校生集団と
人を殺しまくる怪物
この2つを見比べれば
どちらが罪深いかわかるはず
確かに人殺しはやっちゃいけないけど
何が罪かの話になると
人を殺すという行動より
何を思っての行動なのか
ってことのほうが大事だと思う
そして、高校生たちの悪意が
人間が本質的に持っている闇の部分でもあって
そこがとても怖かったりもします
この高校生たちはすごく無邪気なんですよね
子どもなんですよ
それ故に人間の根本にある
誰しもが持っている悪の部分が
より描き出されています
怪物だから何をやってもいい
って考え方がすごく怖い思想なんです
でも、みんなそれを持っている
これは人種差別にも繋がってくることですよね
本作では
この怪物たちが元は人間だとか
姉妹を思いやる感情があったりとか
そんな設定があってとても可哀想にも見えますが
そこはわかりやすくするための要素で
本質はそこじゃないと思う
これがもし感情を失ったゾンビだったとしても
高校生たちが行った行為ははたして許されるのか?
という部分が大事
そもそも、この邪悪さが人間の根本で
そこにどう向き合っていくか
それを考えなきゃいけない
人間の根本は悪だから、いじめは絶対に起きるし
消すことなんてできない
だからって仕方ないと言ってれば
本作のような最悪な結末を向かえてしまう
結局は
いじめを失くそうと
臭いものに蓋をして隠すんじゃなくて
いじめを生み出す人間の根本の悪と
どう向き合っていくか
どう対処していくか
ということが必要なんですよ
そこを考えなきゃいじめ問題の解決なんて
できるわけがない
世の中のいじめ議論の中心は
どういじめを失くすかとか
いじめの原因はなにか
ばかりに偏っていて
それは解決につながる議論じゃない
いじめを失くすことなんてできないし
原因なんて無い
じゃあ、どうするかと言うと
起きた時にどう対処するが大事
人間の本質は善じゃなくて悪
そこをもっと考えるべき
犯罪を失くせないから法律があるんだから
いじめも同じですよ
失くせないからその対処が必要だと思うんです
そんなことも
この映画から考えさせられました
この映画は一見ただのB級ホラーと思いきや
なかなか深い内容の作品だったと思います
人間の闇の部分に触れることができました
その上、エンターテイメントととしても
面白かったりもする
ホラーとして楽しめつつ
いじめなどの社会問題を考えさせられる
とても興味深い映画です
ホラーだからと敬遠せず
是非いろんな人に観てもらいたい